人生で初めて転職というものをしました。
転職をしたということは退職をしたということでもあります。
といわけで2025年2月をもって3年間お世話になっていたreynato.tokyo株式会社を退職しました。


reynato.tokyo|レナートトーキョー
reynato.tokyo (レナートトーキョー)は、独自のスタイルに導くブランド戦略や、デジタル領域の強みを生かしたブランド体験をプロデュースする、クリエイティブパートナーです。
簡単に私の経歴を話すと、2020年の3月に専門学校を卒業し、1年間フリーランスをしていました。
なぜフリーになったかといえば新卒で内定をいただいていた会社の給料よりも学生時代にバイトでしていたWebアプリの実装やUIデザインの方がお金になったからです。とても短絡的な理由ですがやはり衣食足りて礼節が私のルーツにあったので、、
フリーランスの時代は今よりもかなり自由に働いていましたが、同時に来年、再来年暮らしていけるのかの不安や「半端な社会人」「レールから外れている」という自責の念でいっぱいでした。こういうのって後から波のように来ますよね。しょうがないですよ。当時20,1歳くらいだったので。
というわけで「そうだ就職しよう」となりました。
2021年、reynato.tokyoに中途で入社
2021年の暑いくらいの時期に、Wantedlyやらで色んなサイトを見ていました。当時の私は「左ききのエレン」にハマっていたので、広告業界楽しそうだなと漠然と思っており、AwwwardsでSite of the Dayを獲得してる日本のクリエイティブエージェンシーや制作会社に片っ端から面談/面接していました。
当時思ったのは、求人サイトから応募するよりも、中の人のTwitterアカウントを探して面談依頼のDMを送る方が返答率が高いということです。社会人になって分かったのですが企業側がWantedlyに求人を出すのって結構お金かかるんですよね。indeedなら無料です。
企業側からしたらコストもかからず、かつ自社に興味のある人の方から来てくれるので、それは嬉しいですよね。自分がそんなDM貰ったら少なくとも嬉しいです。これから就活する人はおすすめですよ。
起伏不定、紆余曲折。色んなことがあり、reynato.tokyoでただ一人のエンジニアとして中途で入社しました。人生で初の会社勤めです。
そこからの3年間
ボスのケンさんにはとてもお世話になりました。この3年間は人生の中で一番濃い時間でした。



BLUE CLUBという会社内でパーティをプロデュースしたり。色んな案件でヒーヒーフー言いながらサイトを生み出したり。
とても長い3年でした。

Renxa(レンサ)
Renxa株式会社(レンサ株式会社)は、お客様のライフスタイルに合わせて、当社取り扱い商材・販売チャネル及びサービスを適切なタイミングでご案内することで最良のサービスの提供を行います。
reynatoに入って初めて携わった案件はrenxa株式会社のHPでした。初めての案件でikeryoさんとタッグを組んで開発しました。その当時は未熟なこともあり多々ご迷惑をかけたと思います。
人間として、エンジニアとして初めて会社勤めになりましたが、日々学びがありました。Webディレクションのやり方や仕事の仕方、進め方。コードを書くだけが仕事ではなく、他の業務もこなしていく必要があったので自然とコードを書くスピードが上がりました。
それと同時にフリーランスとして仕事もしていたので、10〜19時にreynatoの仕事、それ以降はフリーの仕事。という形で働いていて充実した日々でした。頑張った分だけお金も増えて好きなものが食べれて買えていたので。
転職
転職のきっかけは、シンプルに「もっと色々なことを経験したい」というなんとも青い理由でした。もっとたくさんの会社で色んな経験値を積んでみたいと思い。reynatoに入ったのと同じプロセス株式会社SUPERSUPERに転職しました。

SUPER SUPER inc. | 株式会社スーパースーパー
SUPER SUPERは、多様なデザイン領域のデザイナーが集まることでアウトプットの領域にとらわれない発想・制作を可能にし、新たなデザインを開発することを目的としたデザインラボラトリーです。
転職するにあたって自分自身が譲れなかった軸としてあったのは「自由に働けるか」です。
リモートや時差出勤、地方での働きなど今の会社ではまるでDAOのような並列であり組織的である働き方が今の会社にはあり、そういうところがメリットだと思いました。
また自身の上級職の方(Webディレクター)が舵取りをしてくれていて、自分自身とても働きやすく開いたリソースに業務に関係する技術の学習ができるのでとても仕事のやる気が上がります。
また社長の甲斐さんや上長のメンバーも話しやすく人間関係も良好です。
鶏口牛後
この3年間は、ただコードを書くだけでなく、ディレクションや進行管理など、仕事を多角的に捉える視点を学ばせてもらいました。特に「エンジニアは実装だけで完結する職種ではない」という実感は、自分の働き方を大きく変えたと思います。案件を円滑に進めるためには、コミュニケーションやスケジュール感、時には企画や演出の理解まで必要で、そこまで踏み込むからこそ良いアウトプットにつながる。その姿勢を叩き込んでもらった時間でした。
そうした経験を経て、次のSUPERSUPERでは、単なる“実装者”に留まらず、プロジェクト全体に関わりながら価値を出していきたいと思っています。これまで培ってきた「現場で泥臭く学んだ進行力」と「エンジニアとしての技術力」を掛け合わせて、より大きなスケールの案件や新しい働き方に挑戦していく。そんなフェーズに今差し掛かっていると感じています。
まだ20とそこら辺しか生きていません。人生の1/4しか終わっていないのですが、現役百年なんて若者の邪魔になるようなことはせずにこれからもほどほどに頑張っていきます。おそらくエンジニアをしていて人生のどこかで「あ、飽きたな」となる節目があるかもしれません。ですが、そこまでは全力で頑張ってみようかと思います。
こういう退職エントリをあと人生で何回書くんだろう、なんて思いながら今タイピングしていますが、少なくとも今の会社ではやりたいことやできることを出し切るまで挑戦を続けたいです。